観音寺
かんのんじ
幕末に石州口の戦いで扇ヶ原関門を死守した岸静江の墓などがあります
幕末に、石州口の戦いで扇ヶ原関門を死守した岸静江や、
12代浜田藩主・松平康定の儒臣で本居宣長の高弟であった小篠敏の墓があります。
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基本情報
住 所 697-0046 島根県浜田市真光町63
電話番号 0855-22-1339
アクセス JR浜田駅から徒歩30分
石見交通バス「広小路」バス停から徒歩5分
料金 無料
備考 曹洞宗 紅蓮山 観音寺
・岸静江国治(1836-1866)
 1836年(天保7年)、松平右近将監家臣の家に生まれる。幕末の石州口の戦いで、扇原関門の守備を命じられていた岸静江は、1,200名の長州軍が開門を迫ったが、関門の通過を断固拒絶した。しかし、近代兵器で武装した長州軍の前になすすべはなく、至近距離から発射された銃弾に胸腹を貫かれ、長槍を持ったまま絶命したといわれる。
・小篠 敏(1727-1801)
 江戸時代の儒学者、国学者。本居宣長に国学を学び、浜田藩に医学・儒学をもって仕えた。