浜田で活躍した人
 
久保田 保一
石州半紙を世界に伝えた手すき和紙職人
久保田 保一 (くぼた やすいち)
 
略 歴 (1924-2006)
1924年 今の浜田市三隅町古市場に生まれる
1952年 和紙職人として独立する
1978年 海外初の手すき和紙実演を行う
1981年 小学生に紙すきを教え始める
1986年 ブータン王国での技術指導を始める
1994年 勲五等瑞宝章を受ける
 ユネスコ無形文化遺産に登録されている石州半紙は、地元で栽培された良質の楮を使用して漉かれた、微細で強靭で光沢のある和紙です。石見地方の手すき和紙は700年代初めに柿本人麻呂によって伝えられたとされ、約1,300年もの歴史があります。現在は4戸の和紙工房が伝統を守り引継いでいますが、明治時代には6,300戸を越す事業所が存在しました。
 1924年、現在の浜田市三隅町にある和紙職人の家に次男として生まれた久保田保一は、海軍として戦争を経験したのち、父親を師に手すき和紙の修行を始め、1952年に独立します。しかし、その後高度経済成長期に社会が大きく変化すると、手すき和紙の需要が減ってきました。そこで、先人たちから引き継がれた紙漉きの技術・技法を守る石州半紙技術者会が結成され、久保田保一が会長を受けます。そして1969年、石州半紙の技術が国の重要無形文化財に指定されました。
 1978年、アメリカで開かれた国際的な紙の会議で海外初となる手すき和紙の実演が久保田保一によって行われました。1986年には石州和紙を通じたブータン王国との交流を始め、今日までに技術研修員の受け入れ事業や和紙製造技術専門家の派遣事業が行われてきました。現在、浜田市三隅町の小学生の卒業証書には自分で漉いた紙が使われており、これも久保田保一によって始められたことです。
 久保田保一は最期の瞬間まで手すき和紙職人でありました。息を引き取る間際、手を動かしゆっくりと、紙を漉く一連の動きをしたのです。亡くなってから3年後、石州半紙はユネスコ無形文化遺産に登録され、世界にその価値を認められています。
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