1620年に古田重治が築城、その後約250年間、浜田藩政の中心でしたが、

1866年、長州軍の戦いで自焼退城という運命をたどりました。

現在は石垣が残り、桜の名所として市民の憩いの場となっています。

アクセス
JR浜田駅より徒歩20分
JR浜田駅より周布方面行きバス停「商工会議所前」下車 徒歩5分
住 所
697-0003
島根県浜田市殿町
電話番号
0855-24-1085 ((一社)浜田市観光協会)
定休日、営業時間
【定休日】 なし   【営業時間】 24時間 
駐車場
(普通車)  数 台  (バス) - 台  
※護国神社社務所前駐車場をご利用ください。
設備・サービス
使用可能カード
料金等
無料
サイト
備考
◎浜田藩の歴史

 元和5年(1619)、三重県の松坂藩から古田重治が浜田に転封し、5万4千石の浜田藩が成立しました。しかし、2代重垣に跡継ぎが無く、改易されました。この間、城下町の建設や藩政の土台が築かれています。
 替わって、慶安2年(1649)に松平(松井)周防守家が入り、広島県の福山藩とともに、中国地方の押さえとして、監視などの重要な役割を担いました。また、城下町の整備や藩札の発行、新田開発も行われています。
 宝暦9年(1759)、周防守家に替わって本多家が入りましたが、10年後の明和6年(1769)に、再び周防守家が戻りました。11代康福、13代康任は老中首座として幕府中枢で活躍し、12代康定は本居宣長との交友や藩校を創設しています。この時期には、植林やたたら産業、石見半紙などの産業振興が図られたほか、外ノ浦、瀬戸ヶ島、長浜の港も発展しました。
 天保7年(1836)には、松平(越智)右近将監家が6万1千石で入りました。しかし、慶応2年(1866)の第二次幕長戦争で大村益次郎率いる長州軍と戦い、幕府軍が大敗を期したため、浜田城は落城し、長州藩支配地となりました。

◎浜田藩年表


◎浜田城の歴代城主
 出典:浜田城(浜田市教育委員会)、城下町・浜田(浜田城資料館建設期成同盟会、浜田市教育委員会)
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