浜田で活躍した人
 
能海 寛
日本人で初めてチベット潜入を試みた学僧
能海 寛 (のうみ ゆたか)
 
略 歴 (1868-1901行方不明)
1868年 今の浜田市金城町長田に生まれる
1893年 「世界に於ける仏教徒」を発刊する
1898年 神戸港から中国へ向かう
1900年 経典を4ヶ国語に翻訳する
1901年 チベットへ向かい行方不明となる
 1901年4月18日、この日付の手紙を出したまま行方不明となった能海寛は、念願のチベット巡礼の旅の道半ばでした。
 能海寛は1868年、現在の浜田市金城町長田にある浄蓮寺住職の能海法憧の次男として生まれました。7歳で父を病気で亡くし、広島県北広島市の寺で育てられました。11歳の時出家し僧となります。その後郷里の浄蓮寺へ戻り、この頃読んだ「大唐西域記」から仏教探検に興味を持ちました。向学心から1885年京都へ出て、西本願寺の普通教校へ入学しました。普通教校では英語力を身に付け、仏教を英語で伝える活動に励みました。その後、上京し慶応義塾に入学、哲学館へ転校と学びの場を広げるなかでチベットへの思いを募らせます。卒業後「世界における仏教徒」を出版し、チベット探検に向けてさまざまな準備を進めました。当時のチベットは、「世界中今日最闇ナル国」と表されるほど閉鎖的な環境で、外部の者は一切立ち入れない国でした。しかし、能海寛は世界中の仏教国が統一した仏典をもち一丸となるべきであるという強い信念から、釈迦の肉声に近い仏典が大量に残るチベットへの渡航を目指します。
 1898年、結婚直後の能海寛のもとにチベットへの派遣許可が届き、神戸港から中国へ出発します。チベットへの挑戦は2年5ヶ月、3回に渡る危険と苦難に満ちたものでした。サンスクリット語やチベット語の経典を4ヶ国語に翻訳するという目的は達成したものの、今からチベットに入るという内容の手紙を出した後、消息を絶ちました。
 その後の調査で1903年ごろにチベット国境付近で土賊に襲われ死去したらしいということが判明しています。しかし、生前に『金剛般若経』や『金光明経』などの蔵本や仏像類などの貴重な資料を日本に送っており、それらの一部は金城町歴史民俗資料館に所蔵されています。
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