浜田で活躍した人
 
小篠 敏(御野)
本居宣長に学び、浜田の学問と芸術を盛りあげた石見浜田の博士
小篠 敏〈御野〉 (おざさ みぬ)
 
略 歴 (1728-1801)
1728年 今の静岡県浜松市に生まれる
1752年 浜田藩の藩医・小篠秀哲の養子になる
1780年 本居宣長へ正式入門
1788年 長崎で音韻研究 「阿蘭陀国音韻圖おらんだこくおんいんず」を宣長に送る
1791年 藩校長善館を開学し、主任教授となる
1795年 藩主の命により「駅鈴」のレプリカを宣長に送る
 小篠敏は江戸時代の浜田に藩校を開き、身分に関係なく学問を広め浜田地方の学問や芸術を盛んにした儒学者、国学者です。
 1728年、今の静岡県浜松市の田淵家の次男として生まれました。苦しい生活の中でも本をよく読み、学問が好きな努力家でした。食べ物を得るため農業を勧められた時には、中国の故事を引用して「学べば禄(お金)はその中にあります」と答えています。
 京都で漢学と医学を学び、浜田藩医小篠秀哲に見込まれて養子となりその後を継ぎ藩医となります。浜田藩に仕える中でも勉学に勤め、江戸での勤務の際は進んで新しい学問を学び知識を深めました。
 1779年、小篠敏は50歳で今の伊勢国松坂の国学者本居宣長に正式に入門し、松坂に長期滞在しながら国学を深めます。国学とは古典に基づき日本について明らかにしようとする学問です。和歌や国学に深い知識をもつ浜田藩の第12代藩主松平康定は、小篠敏の仲立ちにより、本居宣長を師として指導を受けました。それに先立って松平康定から本居宣長への贈りものとして、宣長が愛した驛鈴が小篠敏より渡され、今の松阪駅前には大きな驛鈴の模型が飾られています。
 1791年、63歳の小篠敏が中心となり、浜田に長善館という藩校を設立します。当時席順は身分によって決まるのが通例でしたが、長善館では到着した者から順に着席しました。小篠敏を中心とする指導により、多くの人材が輩出される藩校となりました。
 武技が主とされ、長く不振であった当時の浜田における学問や芸術を盛んにした小篠敏は、74歳で生涯を閉じました。浜田市真光町の観音寺にある墓石に記された墓銘碑が、経歴や業績を今に伝えています。
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